共和制ローマ&ローマ帝国期の服装
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ローマの服飾文化
現在の洋服の成り立ちは、紀元前のローマ帝国から始まります。
それ以前にも、世界では後に4大文明と呼ばれる黄河文明・インダス文明・エジプト文明・メソポタミア文明が有りましたが、現在の服飾文化の直接の祖先は、都市国家として産声を上げ、後に地中海の覇者となるローマ帝国です。
ローマ帝国は帝政をとってはいましたが、その多くの期間は元老院の権力を認め、共和制的な統治を行っていました。
ローマ帝国では市民が自由を謳歌し、また、その優れた服飾文化の恩恵を帝王から奴隷まで享受していました。
ローマにおいて、服装は社会階級を表す物でした。
色や生地、羽織っているもので、その人間が属している社会が一目で分かるようにしたのです。
ただし、ローマ帝国といえば奴隷制度が有名ですが、この奴隷でさえも、ローマ帝国以外の文明からすると、上等のものを身にまとっていました。
また、この頃の奴隷制度は絶対的ではなく、主人が開放すれば、既に自由の身であり、職を得れば市民の一員でした。
ローマの男性の服装
このころのローマの一般市民の服装は、気候が温暖な事もあり、膝を出したチュニック(ワンピースの様な物)の上にトーガと呼ばれるローブの様なものを着ていました。
トーガは、公式な場や宗教儀式の際には、必ず身につけるよう、定められていたのです。
また、このトーガの色は、年齢と地位を表しています。
そう、このトーガこそが、フォーマルウェアの始まりといっても過言ではありません。
市民層以上の男性は皆そろって、決められたルールに則ったトーガを着込み、ローマ帝国の一員として振舞っていました。
支配層だけでなく、中流層までがフォーマルウェアを着る、というのは、この時代から既に行われていたのです。
ただし、奴隷などの下層民は、チュニックだけを羽織り,トーガを着ることはありませんでした。
しかしそのチュニックも、ローマ帝国内においては粗末なものではありましたが、この時代の他の文明の中流層と比べても、むしろ上等なものでした。
女性もまた、初期はトーガを着ていたのですが、やがて売春婦のみが着る様になりました。
そしてその後、そういった服飾文化も、ローマ帝国の肥大化にともない、少しずつ西欧に広がっていきました。
ローマ記の服装の素材
ローマ帝国期、服装には主にウールが使われていました。
現在でもイタリアは良質のウールの産地ですが、これは2000年間の品種改良とノウハウの蓄積であることがわかります。
また、支配層に位置する人々の間では絹が好んで着られましたが、しかし養蚕の技術は当時の西洋にはありません。
そこで東洋から輸入する事となるのですが、この服飾文化が、東西を結ぶシルクロードを作る事になったのです。
ローマのアクセサリー
この頃の男性は、アクセサリーをあまり用いませんでした。
ただ、成人男性の市民が必ず身に着けていた物が一つだけ有ります。
それは封蝋と呼ばれる、後々も西洋の貴族にとっては非常にポピュラーな物です。
手紙などを閉じる際、その証明として、独自のデザインの彫りが施された物を最後に押し付ける、といった使い方をするのですが、ローマ帝国期ではコレをリングにして身に着けていました。
これは勿論、実用品ではありますが、それ以上に、義務と責任、権利を有している市民であるという象徴でした。
ローマ記の靴
ローマ帝国期、人々は既に革靴を履いていました。
この頃の革靴は、現在の靴と驚くほど似ています。
モンクストラップのベルトが足の外側から伸び、先に靴紐が有り、それで結ぶ様な構造です。
驚く事に、装飾性も今と変わらないほどに、手の込んだ、煌びやかな物です。
また、上位階級の間では、外では革靴、家の中ではサンダルを履いていた様です。
このサンダルはつま先が無く、一枚革に革紐をいくつも付け、甲で結ぶ様なものです。
また、奴隷も履物を履いていたのですが、これは粗雑になめされた一枚革で単純に包む様な構造でした。
また、上位階級を示す色として、赤色が使われました。
このように、既にフォーマルファッションと呼ぶことの出来る文化は、ローマ時代には既に始まっていました。
起源を探せば、更に遡れるとは思いますが、残念ながら資料に乏しく、その作業は学者の皆様にお任せする事にします。
次回はフランク帝国での服装へと、進めて行きたいと思います。
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