フォーマルウェアと映画

2009/4/24 金曜日Filed under: フォーマルウェアの歴史

フォーマルウェアの歴史を学ぶのに、最も適しているのは、映画であると思います。
特に、ハリウッド映画でしょうか。

日本の時代劇は一般庶民がわからない程、着物などの時代考証を重ね、矛盾をなくす様に、ハリウッド映画もまた、徹底的に当時のファッションを再現する事が多いです。

ただ、残念ながら、中世以降の現在のフォーマルウェア黎明期の歴史物映画でも、中流層以下のファッションを描いている映画は少ないものです。
そんな中で、レオナルド・デカプリオ主演の「ギャングオブニューヨーク」は、アメリカの移民流入期の服装を、特に下流層の服装を描いている、数少ない映画で、とても参考になりました。

私もそうですが、ファッションの歴史を学ぼうとする時、まず資料の少なさにぶち当たります。
特にメンズファッション、フォーマルウェアなどは、ドレスの様に大事に保管されず、現存する資料が少ないのが困り物。
関東では、文化学園服飾博物館杉野学園衣裳博物館の2つで、なんとか当時のフォーマルウェアの現物を見ることが出来ますので、興味のある方は、ゴールデンウィークに足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。

イブ・サンローラン氏逝去

2008年6月1日、イヴ・サン=ローラン(Yves Saint-Laurent)氏が逝去しました。

彼はモードの帝王と呼ばれ、第二次大戦後のファッション界を革命した一人です。
彼の才能に関しては、驚くべき逸話が残されています。

彼がまだ服飾専門学校の学生であったころ、デザインコンテストで後にシャネルのデザイナーとなるカール・ラガフィールド(Karl Lagerfeld)氏を抑え、最優秀賞に輝きました。

そしてこの時の審査員であった、ファッション誌としては世界一の権威であった「VOGUE」誌の編集長が、イブの才能に感動し、友人であり当事既に成功を収めていたクリスチャン・ディオール(Christian Dior)氏に紹介したのです。

クリスチャン・ディオールはイブのデザインを見て、
「イブには最高のデザインの才能があります。私はイブに認められたい。」と言い、デザイナーに推挙したそうですが、周囲のイブの才能に対する疑念から、この時は実現しませんでした。

しかし、同年、クリスチャン・ディオールが突然この世を去ります。
残されたクリスチャン・ディオールの社内の人間は、クリスチャン・ディオールに変わるデザイナーを探さねばなりませんでした。
そして故人が認めた一人の青年に、思いを託したのです。
そう、イヴはなんと21歳という若さで、クリスチャン・ディオールの主任デザイナーとなり、その才能を発揮し始めました。

しかしその3年後、彼はなんとフランス軍に徴兵され、精神を病んでしまいます。最高の才能を持ったデザイナーを、戦争はただの人殺しに使ったのです。
その数年後、彼は彼の才能を高く評価するパトロンの出資により、自身のブランド「イヴ・サンローラン」を立ち上げます。

その後の彼の活躍は目覚しいものでした。
今日、女性がパンツファッションで町を歩けるのも、彼が最高のデザインと共に、女性のファッションの既成概念を壊したからに他なりません。

男性ファッションにおいても、彼と彼のブランドが残した足跡は、計り知れません。
イブ・サンローランは長い間、シンプルで地味なものが良いとされていたスーツスタイルを、変化させたのです。
様々な、色、様々な素材、そして何より、スーツファッションに「MODE」というエッセンスを与えたのは、他ならぬ彼です。

だからこそ、現在ではスーツのシルエットはディテールにもトレンドが有り、ファッションを楽しむ事が出来るのです。

ブランドとしては、シャネルやディオール程までには成功はしませんでしたが、才能としては20世紀最高のデザイナーの一人であると、言い切ってよい人でしょう。

長々と書いてしまいました。

ただ、最近のスーツファッション好きの方の一部には、「クラシック」ばかりに気を取られ、モードを無視する方が多い様に感じます。
モードである事も、同じように素晴らしい事なのです。

共和制ローマ&ローマ帝国期の服装

2008/3/17 月曜日Filed under: フォーマルウェアの歴史

[ローマ帝国] ブログ村キーワード
ローマの服飾文化

現在の洋服の成り立ちは、紀元前のローマ帝国から始まります。

それ以前にも、世界では後に4大文明と呼ばれる黄河文明・インダス文明・エジプト文明・メソポタミア文明が有りましたが、現在の服飾文化の直接の祖先は、都市国家として産声を上げ、後に地中海の覇者となるローマ帝国です。

ローマ帝国は帝政をとってはいましたが、その多くの期間は元老院の権力を認め、共和制的な統治を行っていました。

ローマ帝国では市民が自由を謳歌し、また、その優れた服飾文化の恩恵を帝王から奴隷まで享受していました。

ローマにおいて、服装は社会階級を表す物でした。

色や生地、羽織っているもので、その人間が属している社会が一目で分かるようにしたのです。

ただし、ローマ帝国といえば奴隷制度が有名ですが、この奴隷でさえも、ローマ帝国以外の文明からすると、上等のものを身にまとっていました。

また、この頃の奴隷制度は絶対的ではなく、主人が開放すれば、既に自由の身であり、職を得れば市民の一員でした。

ローマの男性の服装

このころのローマの一般市民の服装は、気候が温暖な事もあり、膝を出したチュニック(ワンピースの様な物)の上にトーガと呼ばれるローブの様なものを着ていました。

トーガは、公式な場や宗教儀式の際には、必ず身につけるよう、定められていたのです。

また、このトーガの色は、年齢と地位を表しています。

そう、このトーガこそが、フォーマルウェアの始まりといっても過言ではありません。

市民層以上の男性は皆そろって、決められたルールに則ったトーガを着込み、ローマ帝国の一員として振舞っていました。

支配層だけでなく、中流層までがフォーマルウェアを着る、というのは、この時代から既に行われていたのです。

ただし、奴隷などの下層民は、チュニックだけを羽織り,トーガを着ることはありませんでした。

しかしそのチュニックも、ローマ帝国内においては粗末なものではありましたが、この時代の他の文明の中流層と比べても、むしろ上等なものでした。

女性もまた、初期はトーガを着ていたのですが、やがて売春婦のみが着る様になりました。

そしてその後、そういった服飾文化も、ローマ帝国の肥大化にともない、少しずつ西欧に広がっていきました。

ローマ記の服装の素材

ローマ帝国期、服装には主にウールが使われていました。

現在でもイタリアは良質のウールの産地ですが、これは2000年間の品種改良とノウハウの蓄積であることがわかります。

また、支配層に位置する人々の間では絹が好んで着られましたが、しかし養蚕の技術は当時の西洋にはありません。

そこで東洋から輸入する事となるのですが、この服飾文化が、東西を結ぶシルクロードを作る事になったのです。

ローマのアクセサリー

この頃の男性は、アクセサリーをあまり用いませんでした。

ただ、成人男性の市民が必ず身に着けていた物が一つだけ有ります。

それは封蝋と呼ばれる、後々も西洋の貴族にとっては非常にポピュラーな物です。

手紙などを閉じる際、その証明として、独自のデザインの彫りが施された物を最後に押し付ける、といった使い方をするのですが、ローマ帝国期ではコレをリングにして身に着けていました。

これは勿論、実用品ではありますが、それ以上に、義務と責任、権利を有している市民であるという象徴でした。

ローマ記の靴

ローマ帝国期、人々は既に革靴を履いていました。

この頃の革靴は、現在の靴と驚くほど似ています。

モンクストラップのベルトが足の外側から伸び、先に靴紐が有り、それで結ぶ様な構造です。

驚く事に、装飾性も今と変わらないほどに、手の込んだ、煌びやかな物です。

また、上位階級の間では、外では革靴、家の中ではサンダルを履いていた様です。

このサンダルはつま先が無く、一枚革に革紐をいくつも付け、甲で結ぶ様なものです。

また、奴隷も履物を履いていたのですが、これは粗雑になめされた一枚革で単純に包む様な構造でした。

また、上位階級を示す色として、赤色が使われました。

このように、既にフォーマルファッションと呼ぶことの出来る文化は、ローマ時代には既に始まっていました。

起源を探せば、更に遡れるとは思いますが、残念ながら資料に乏しく、その作業は学者の皆様にお任せする事にします。

次回はフランク帝国での服装へと、進めて行きたいと思います。

相互リンクについて | リンク集 | 会社概要 | 個人情報保護方針 | copyright © 2007 formal style all rights reserved.